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微雑音

インド紀行③

2019-02-13
霊鷲山の名称のもとになった鷲の岩
礼拝所にて読経
玄奘三蔵が学んだナーランダ大学跡(5世紀頃)
インド紀行③
現地2月4日はインド3日目ラージギルです。2日目にデリーからパトナへ空路で移動し、その後、バスでここラージギルまで移動し宿泊しました。
この日はまず、朝5時半にホテルを出発し、仏陀となられたお釈迦様が、無量寿経や観無量寿経、法華経をはじめとする大乗経典を説いたと言われる、「霊鷲山」の参拝です。「霊鷲山」をはじめとするこの一帯は、古代インドのマガタ国の首都で王舎城と言われました。その王舎城の郊外にあるのが「霊鷲山」です。
「仏説無量寿経」の冒頭にはこうあります。
「われ聞きたてまつりき、かくのごとく。ひと時、仏、王舎城耆闍崛山のうちに住したまひき。大比丘の衆、万二千人と倶なりき。」(浄土真宗聖典註釈版三頁)
この「耆闍崛山」(ぎしゃくっせん)というのが霊鷲山の正式な名称です。おそらく釈尊も拝まれたでろう霊鷲山からの御来光は格別でした。そして、皆で当然のごとく頂上の礼拝所でお勤めをしたのです。
その後ホテルで朝食を摂り、竹林精舎跡や昨日行けなかったナーランダ仏教大学跡等を参拝し、再びバスで3時間ほど移動し、お釈迦様成道の地であるブッダガヤに入ったのでした。
 
 
浄土真宗 本願寺派 
要谷山 善養寺

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