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沿革~当山の歴史~

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沿革~善養寺の歴史~
「はじめに」
 寺伝によれば、ここ城北、八代の地に、他宗より転派し、浄土真宗に帰依し、寛文2年1661年11月、国林院釋圓慶法師を開基として、要谷山善養寺は建立されました。
 爾来、350有余年間、当山法灯と血統は脈々と受け継がれ、当山寺族、門信徒の方々、また有縁の方々の並々ならぬ辛苦と、篤い信仰心の末に今日の堂宇があるのです。
 当山は、江戸時代には大水、大正元年は火災と、大きな災難に遭い、古文書等の多くは散逸焼失してしまいました。以下の沿革事項は、残存した過去帳から抜き出したものです。
「沿革」
 開基 国林院釋圓慶法師(延寶3年1673年7月11日寂 将軍家綱)
   寛文2年1661年11月13日 善養寺 寺号拝受           〈1657年明歴の大火〉
   延宝元年 木像尊像拝受
  2世 常雲院釋浄慶(元禄4年1691年10月4日寂 将軍綱吉)
  3世 養谷院釋慶存(元文3年1738年6月22日寂 将軍吉宗)
     祖師、聖徳太子、七高祖、本願寺第13代門主良如上人 各御絵像お迎え
                         (正徳元年1711年11月12日将軍家宣)
   御本尊修復  正徳3年8月
 4世 光照院釋恵順(享保元年1716年11月16日寂 吉宗が将軍になった年)
 5世 慶應院釋祐証(寬保元年1741年10月18日寂)
 6世 龍谷院釋慶存(享保13年1728年3月8日寂 ※法名三世と同じ)
      住職 本堂建立 ※新しい本堂が、いつ建立されたかは残念ながら記録なし。住職寂が享保13年1728年3月であるから、享保年間に建立されたと考えられる。
  7世 善空院釋素吟(享保4年1719年2月19日寂)※六世、七世の死去年号は誤記の可能性有り。
 8世 東対院釋問龍   同住職 揖西郡土師村より養子 (宝暦4年1754年4月24日寂 将軍家重)
      寛延2年1749年7月3日大水発生の記録有り
  9世 樹谷院釋問慶(明和5年1768年7月16日寂)
      廊下建立(宝暦11年3月1760年)
      蓮如上人お名号安置(宝暦10年)※後に焼失
 10世 善龍院釋問瑞(安永2年1773年3月5日寂 将軍家治)          〈1772年田沼意次老中になる〉
 11世 天正院釋問空(文化5年1808年3月27日寂 将軍家斉)       〈1808年間宮林蔵樺太探検〉
 12世 清風院釋芳秀(文政10年1827年10月8日寂)
      蓮如上人御影、宗祖御絵伝、文如第18代本願寺御門主御影安置 (※いずれも後焼失)
      本堂、廊下再建(文化6年1809年3月)
       ※本堂がいつ損壊したかは明記されてないが、寛延2年の大水の可能性あり。
        前の本堂建立より100年ほど経ている。
 13世 勧善院釋諦原(天保11年1840年3月17日寂 将軍家慶)
             本如第19代本願寺御門主御影安置様ご絵像を安置 
        天保五年から七年にわたり、内陣修理
 14世 要善院釋了原(明治30年1897年12月19日寂)
      嘉永2年、慶応3年寄進により余間新調
       慶応2年本堂屋根替
           明治7年御本尊修復
      明治22年4月より庫裏屋根替
      明治27年内陣御障子に金箔張りし、境内を広げ土塀を築く
      大正元年 失火により本堂全焼   猛火の中御本尊は持ち出す
 15世 浄善院釋明俊(大正8年3月22日寂 享年二十三)
 明治7年10月      本堂屋根替完成
 大正元年12月      本堂全焼 
 大正10年5月      本堂再建 入仏式

 ☆続きは、後日加筆いたします。
浄土真宗 本願寺派 
要谷山 善養寺

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