微雑音
ブログ No.17
2022-01-07
昨年、私は3月、11月、12月とあわせて4回コンサートに行きました。当時は、少しはコロナも落ち着いていた時期で、うち1回は大阪フェスティバルホールまで行きました。もっともチケット申込みは早い時期にしていましたが。今回のブログは、私が聴きにいったコンサート並びに私の好きな音楽について書きます。まったくの私の個人的な趣味の話ですので興味のある方は先をどうぞ。
私は音楽の専門家でもなく、自ら何か楽器ができる訳ではありません。しかし、私の人生、生活にとって、音楽は必要不可欠なもので、音楽なしの生活は考えられません。多少の好き嫌いはありますが、たいていの音楽は好んで聴きます。中でもクラシックならオーケストラやオペラや合唱曲、ロックならクイーンやディープパープルなどの70、80年代のロック、また映画音楽も大好きです。またジャズも吹奏楽も、そして民族音楽などにも大いに興味があります。無論、日本の歌もJPOPも大好きです。多く方が同じような感覚をお持ちだと思いますが、私にとって、音楽を聴くことは、日々の私を癒やし、元気づけてくれる栄養剤そのものなのです。
さて、冒頭に述べたコンサートの話に戻しましょう。
まずは、昨年の11月5日、大変貴重な音楽体験をしました。この日、姫路市に昨年新しく出来た「アクリエひめじ」のオープニングシリーズとして、世界最高峰のウィーンフィルハーモニー管弦楽団がやってきたのです。それもフルオーケストラで、指揮はこれまた有名なリッカルド・ムーティー氏。これを聴きに行かなければ一生の後悔と、チケット発売日の翌日に、姫路市文化センターまで買いに行きました。そして、無事当日、新しいアクリエひめじへ、わくわくして入場しました。知り合いのクラシックファンの方にも会いました。ウィーンフィルを生で聴くこと事態夢のようです。パンフを読むと、これまで何度も来日していたようですが、無論姫路公演は初めてです。今回も、東京、大阪、姫路ぐらいの公演でした。その公演を聴きに行けたのです。世界的な管弦楽団ですので、私が買ったC席(しかも3階!)でも一人2万円以上しましたが、その演奏は、まさしく世界最高の音だったと思います。無論客席は満員です。演奏は、組曲や交響曲が3曲でしたが、3階席でも十分にその美しい調べを堪能できました。一つ一つの音が宝石のようで、ずっと聴いていたい気分でした。アンコールもあり、まさしく最高の至福の時間だったと言えます。
前後しますが3月には、このアクリエひめじ完成のため、昨年末でコンサートホールとしての使命を終えた姫路市文化センターで、兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏会がありました。コロナ禍でまったく生の音楽が聴けなかった時期が続いてましたので、あたかも乾いた大地にもたらされた慈雨のような演奏でした。
話戻り、そして、12月3日は、大阪フェスティバルホールに、イギリスの老舗ロックグループ「キング・クリムゾン」のコンサートに行きました。こちらは、いわゆるプログレッシブロックというジャンルのロックですが、知らない人はまったく知らないと思います。老舗と言いましたが、なにせ私が持ってる、このグループの最も有名なレコードには、自分で「S52.1.30」と書いており、レコードのライナーノート(解説)には1971年4月とあります。つまりこのグループは1960代の終わり頃から、2021年の今日に至るまでずーっと活動を続けていたのでした。そんなことは私は全く知らず、正直存在も忘れかけてましたが、たまたま来日することを知って、こちらもなんとしても聴きに行かねばと思って、急いでネットでチケットを買いました。大阪のフェスティバルホールも大変立派なホールです。そのホールで、重厚なキングクリムゾンのサウンドを聴くことが出来、本当に有り難い一晩でした。写真は、演奏後、公式に許可された写真タイムに撮ったものです。興味のある方は、一度YouTubeでも検索してみてください。
そして、12月12日は、こちらも「アクリエひめじ」のオープニング記念のために書き下ろされたオリジナルオペラである「オペラ千姫」を観劇しました。このオペラも私は大変楽しみにしておりました。と言いますのも、一つは、当山のコーラスを指導してくださっている伊藤典芳さんが重要な役柄で出演されるからです。またこのオペラの原作が、玉岡かおるさんの「姫君の賦 千姫流流」という小説で、こちらも読んでおり、姫路が舞台の小説で、それがオペラ化されたのですから観劇せずにはおれません。
ということで、12月11,12日にの2日間公演されましたが、私は12日に観劇したのです。
物語は、豊臣秀頼の正室になった千姫でしたが、大坂の陣で秀頼が自害し、徳川秀忠の娘である千姫は助け出されます。やがて、千姫は桑名の本多家に嫁いだ後、本多家が姫路に移封され、夫忠刻とともに姫路城に入ったところから始まります。やがて、二人の間には一男一女が生まれるのですが、跡継ぎである男の子は幼くして亡くなり、やがて夫忠刻も若くして亡くなります。その影には、本多家を羨む人々の陰謀も見え隠れするのですが、悲しみにくれる千姫を娘と乳母がなぐさめ、姫路の10年は私の宝物だたったと高らかに歌いあげ江戸へ帰って行くところで幕が下りるのです。
このような物語でしたが、この度私はオペラを観てはじめて涙を流しました。時代と家に翻弄された千姫の波瀾万丈な半生を今回のオペラは見事に描かれていたと思います。オペラは、総合芸術です。一つの舞台に、いったいどれだけの人が関わっているのでしょう。したがって、一回の公演でも莫大なお金がかかっていると容易に想像できますが、だからこそ観る価値があると改めて思いました。
気がつけば、長々と書いてしまいました。毎回、このような音楽話を載せるわけではありませんが、この度はあまりにも感激したことが続きましたので、いささか自慢げなブログになってしましました。
当山では、再び伊藤典芳さんの指導による善養寺コーラスの活動再開を考えています。これまでNHKの朝ドラの主題歌も何度も練習してきました。どなたでも参加できますので、歌いたい!と思う方は、どうぞお寺までお問い合わせください。だらだらの駄文失礼しました。

ブログ No.16
2021-11-17
秋が深まって参りました。境内の”小さい秋”の様子です。もっと鮮やかなら良かったのですが、撮ったタイミングが悪かったのか、やや色あせていますが、温暖化が叫ばれる中の当山の境内です。楽しめるほどの樹木はないですが、様子をご覧ください。

ブログ No.15
2021-09-16
9月11日、緊急事態宣言下でしたが、長女の結婚式と披露宴を執り行いました。6月の予定を延期して今月になりましたが、結局宣言下における挙式となりました。
新郎は、寺院関係の方ではありませんが、この上ない良縁で大変うれしく思っております。
新郎は、寺院関係の方ではありませんが、この上ない良縁で大変うれしく思っております。
両人とも神戸住まい、神戸勤めですので、結婚式は本願寺神戸別院において、仏前結婚式を行いました。別院ご輪番様の司婚のもと、読経と私の友人たちによる雅楽演奏とともに、阿弥陀様の前で誓いの詞を述べ、手を合わせた2人でした。
ご輪番様が、このご縁は、天からおりてきた糸が、地上に落ちている針の穴を通すほどの希有で深いご縁である、という意味のお話をされ、感激いたしました。合掌した2人が、私どもには誠に有り難く、尊く愛しいことでした。
式後は、神戸市内のホテルに移動し披露宴を行いました。このような状況下ですので、2人とも出席できなかったご友人も少なからずいたようですが、そんな友もビデオで祝辞や祝いの歌で出演してくれました。
また、宣言中でしたので、アルコール抜きの宴席となりましたが、2人の幸せ一杯の笑顔にすっかり酔いしれた私たちでした。親として、誠に有り難く、感激した一日でした。
式後は、神戸市内のホテルに移動し披露宴を行いました。このような状況下ですので、2人とも出席できなかったご友人も少なからずいたようですが、そんな友もビデオで祝辞や祝いの歌で出演してくれました。
また、宣言中でしたので、アルコール抜きの宴席となりましたが、2人の幸せ一杯の笑顔にすっかり酔いしれた私たちでした。親として、誠に有り難く、感激した一日でした。
当山本堂でも、私自身はもちろん、過去に幾度か仏前結婚式を勤めております。昨今は無宗教の式もあるようですが、新たな門出を仏様に誓い、お念珠の交換等を行う仏前結婚式は、仏縁を育む絶好の機会でもあります。

ブログ No.14
2021-09-16
久々のブログアップです。
すでに、当山のすべての門信徒の方または有縁の方には届いていると思いますが、この度、当山前住職江尻茂が、約50年にわたる善養寺住職としての活動を一冊の記念誌にまとめました。
この記念誌は、昨年から構想とメモ書きをはじめ、資料を取り出し点検し、また幾葉の写真はご門徒様からお借りし、推敲を重ね、そしてその手書き原稿を、孫の松井紀恵さんがワープロ原稿になおし、最後に姫路のイセダ印刷(株)で印刷製本をして、今夏に完成しました。
前住職が、精魂を傾けて築き上げてきた善養寺の歴史が、この記念誌に書かれてあります。
内容としては、昭和40年の前住職の継職法要から、平成24年の現住職である私の継職法要までの大法要の詳細な記録、そして納骨堂建立、墓地の整備、そして平成4年から2年間かけた、本堂と庫裏の大改修の詳細な記録が載っています。また、ほかに教師時代、ライオンズの活動など茂自身の足跡をまとめて記してあります。
前住職は現在92歳という高齢ではありますが、何事もよく記憶しており、また各法要の資料等もきちんと残していましたので、このような記念誌ができました。
記念誌は、前住職の情熱の強さと、その気持ちにお応えいただいたすべての門信徒の皆様のご苦労が伺え、また詳細は記録は、善養寺の記録として大変貴重なものとなりました。本当に有り難く感じております。
さらに、改めて善養寺住職としての責任の重さ、門信徒の皆様への感謝を感じずにはおれません。
寺院護持、法灯継承は後を継ぐ者が何よりも大切に肝に銘じることでもあります。
この記事をお読みなられた方で、記念誌を見たいという方がおられましたら、是非ともお問い合わせください。

ブログ No.13
2021-07-16
今回は写真はありません。久々のブログです。もっとブログも書きたいのですが、なかなか手が回りません。コロナ禍が続く中、家の掃除や整理をなさる方も多いと思います。うちも、モノにあふれており、時間を見つけては、出来るところから断捨離めいたことをしています。先日、机の中を整理していたら、一片の紙に以下のような走り書きのメモが出てきました。どこかの書物を写したものでしょうが、確かに私が書き写したものです。いつどの本から写したのかまったく覚えていませんが、これが何かお分かりですね。
「 四迷 45 ベンガル湾上で客死 紅葉 36 胃がん
鴎外 60 腎臓炎 一葉 24 結核
透谷 24 自殺 漱石 49 胃潰瘍
武郎 45 人妻と心中 竜之介 35 服毒自殺
多喜二 30 獄死 康成 72 ガス自殺
利一 49 病死 寛 59 狭心症
辰雄 48 肺炎 基次郎 32 病死
賢治 37 病死 敦 33 ぜんそく
治 山崎富栄と入水自殺 由紀夫 45 自決
中也 30 病死 道造 24 病死
啄木 26 病死 子規 34 病死 」
鴎外 60 腎臓炎 一葉 24 結核
透谷 24 自殺 漱石 49 胃潰瘍
武郎 45 人妻と心中 竜之介 35 服毒自殺
多喜二 30 獄死 康成 72 ガス自殺
利一 49 病死 寛 59 狭心症
辰雄 48 肺炎 基次郎 32 病死
賢治 37 病死 敦 33 ぜんそく
治 山崎富栄と入水自殺 由紀夫 45 自決
中也 30 病死 道造 24 病死
啄木 26 病死 子規 34 病死 」
すべての方の姓はお分かりでしょうか。すべてでなくとも、いずれの作家の一つや二つの作品を皆さんも読まれたことがあると思います。そういえば、最近文豪の死にまつわる本が出版されたような気がしますが、その本の題名も何も思い出せません。ともかく、このメモを見ていると、なんと文豪たちの生涯は短いことかと思わずにいられません。
明治大正昭和に比べると、現代は医療も社会保障も進んでいると思います。日本は世界に冠たる長寿国となりました。それはそれで良いことなのですが、長寿国イコール幸せな国、素晴らしい国とは単純には言えないでしょう。そうは言うものの、私自身、まだまだ死にたくないと思います。これこそ煩悩のなせる思いではありますが、これらの文豪たちの死亡年齢を見ていると、やはり人はいつ死ぬかを心配するより、どう生きるかを心配するべきであると思います。そして、死はそれですべておしまい、ではないというのが、真宗の教えです。お浄土での私の仕事は決まっています。だからこそ、この現世において、しっかり自分のすべきこと、したいことを見いだし、小さなことからまだまだチャレンジしてゆきたいと思うこの頃です。
