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善養寺のご案内

善養寺のご案内

住職あいさつ

善養寺住職
平成26年(2014年)4月より、要谷山善養寺第19世住職を務めております、江尻裕史と申します。この度住職継職を契機として善養寺ホームページを開設いたしました。
ホームページは善養寺門信徒の方々への連絡報告が主な内容となりますが、門信徒以外の方にも善養寺の活動を知っていただき、より多くの方に当山に対し興味関心を持っていただくことが目的でございます。さらに、このホームページを機縁として、新たなご縁ができれば幸いと考えております。
今後、可能な限り当山の活動状況をアップしてゆきたいと思いますが、ご覧の通り、まだまだ未完成の部分が多い状況です。今後随時追加、更新をしてまいりますのでよろしくご覧ください。

さて、善養寺は過去帳によりますと、江戸時代初期の寛文2年(1661年)にこの八代の地に浄土真宗の寺院として創建されました。その後幾多の艱難に遭いながらも、現代まで350年以上もの間、地域に根ざした寺院として続いております。

21世紀の現代社会は混迷を極め、価値観の多様化と急激な変化により、先行きは益々不透明な時代となりました。しかし、釈尊がお説きなされた仏法。そして、浄土真宗の開祖親鸞聖人の教えは、時代がいかに変わろうとも普遍真実の南無阿弥陀仏の教えとして、私たちにつねに生きる道筋をお示しくださっているのです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌

善養寺第19世住職 江尻 裕史

宗派について

宗派

宗派
宗名
浄土真宗
宗派
浄土真宗本願寺派
本山
龍谷山本願寺(西本願寺)
本尊
阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
宗祖
親鸞聖人(ご誕生1173年5月21日~ご往生1263月1月16日)

教義・聖典

教義・聖典
■ 教義

阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
(本願寺手帳より)
■ 聖典

  • 釈迦如来が説かれた「浄土三部経」:『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』
  • 宗祖 親鸞聖人が著述された主な聖教(しょうぎょう):『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文[げもん])『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』
  • 中興の祖 蓮如上人のお手紙:『御文章』
(本願寺手帳より)
■ 生活

親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、漸愧(ざんぎ)と歓喜(かんぎ)のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。
※漸愧(ざんぎ)・・・自ら恥じること
(本願寺手帳より)

沿革(当山の歴史)

はじめに
寺伝によれば、ここ城北、八代の地に、他宗より転派し、浄土真宗に帰依し、寛文2年(1661年)11月、国林院釋圓慶法師を開基として、要谷山善養寺は建立されました。爾来、350有余年間、当山法灯と血統は脈々と受け継がれ、当山寺族や門信徒の方々、また有縁の方々の並々ならぬ辛苦と篤い信仰心の末に、今日の堂宇があるのです。
当山は、江戸時代には大水、大正元年(1912年)は火災と、大きな災難に遭い、古文書等の多くは散逸焼失してしまいました。

以下の沿革事項は、残存した過去帳から抜き出したものです。
住職
善養寺の歴史
1世 国林院釋圓慶法師
[延宝3年(1673年)7月11日 将軍家綱]
  • 寛文2年(1661年)11月 開基
  • 寛文2年(1661年)11月13日 善養寺の寺号を拝受
  • 延宝元年(1673年) 木像尊像を拝受

<この時代の出来事>
  • 明暦3年(1657年) 明歴の大火
2世 常雲院釋浄慶
[元禄4年(1691年)10月4日寂 将軍綱吉]

3世 養谷院釋慶存
[元文3年(1738年)6月22日寂 将軍吉宗]
  • 正徳元年(1711年)11月12日[将軍家宣] 祖師、聖徳太子、七高祖、本願寺第13代門主良如上人の各御絵像をお迎え
  • 正徳3年(1713年)8月 御本尊を修復
4世 光照院釋恵順
[享保元年(1716年)11月16日寂]※吉宗が将軍になった年
5世 慶應院釋祐証
[寛保元年(1741年)10月18日寂]
6世 龍谷院釋慶存(法名3世と同じ)
[享保13年(1728年)3月8日寂]
  • 住職が本堂を建立
    ※新しい本堂が、いつ建立されたかは残念ながら記録なし。住職寂が享保13年(1728年)3月であるから、享保年間に建立されたと考えられる。
7世 善空院釋素吟
[享保4年(1719年)2月19日寂]
※6世・7世の死去年号は誤記の可能性あり

8世 東対院釋問龍(同住職の揖西郡土師村より養子)
[宝暦4年(1754年)4月24日寂 将軍家重]
  • 寛延2年(1749年)7月3日 大水発生の記録あり
9世 樹谷院釋問慶
[明和5年(1768年)7月16日寂]
  • 宝暦10年(1760年) 蓮如上人お名号を安置(後に焼失)
  • 宝暦11年(1761年)3月 廊下を建立
10世 善龍院釋問瑞
[安永2年(1773年)3月5日寂 将軍家治]
<この時代の出来事>
  • 安永元年(1772年) 田沼意次が老中になる
11世 天正院釋問空
[文化5年(1808年)3月27日寂 将軍家斉]
<この時代の出来事>
  • 文化5年(1808年) 間宮林蔵が樺太探検
12世 清風院釋芳秀
[文政10年(1827年)10月8日寂]
  • 蓮如上人御影、宗祖御絵伝、文如第18代本願寺御門主御影を安置(いずれも後に焼失)
  • 文化6年(1809年)3月 本堂と廊下を再建
    ※本堂がいつ損壊したかは明記されていないが、寛延2年の大水の可能性あり。前の本堂建立より100年ほど経ている。
13世 勧善院釋諦原
[天保11年(1840年)3月17日寂 将軍家慶]
  • 本如第19代本願寺御門主御影安置様ご絵像を安置
  • 天保5年(1834年)から7年にわたり、内陣修理
14世 要善院釋了原
[明治30年(1897年)12月19日寂]
  • 嘉永2年(1849年)・慶応3年(1867年) 寄進により余間新調
  • 慶応2年(1866年) 本堂屋根替
  • 明治7年(1874年) 御本尊を修復、10月に本堂屋根替完成
  • 明治22年(1889年)4月 庫裏屋根替
  • 明治27年(1894年) 内陣御障子に金箔張りし、境内を広げ土塀を築く
  • 大正元年(1912年)12月 失火により本堂全焼、猛火の中御本尊は持ち出す
15世 浄善院釋明俊
[大正8年(1919年)3月22日寂 享年23歳]

  • 大正10年(1921年)5月 本堂再建、入仏式

年中行事

善養寺は、年間を通じ行事、法要を行っています。一人でも多くの門信徒の方にお参りいただきたいと思います。
ここでは年中行事を、こよみで分かりやすくご案内します。
■ 1月

  • 1日 元旦会
■ 3月

  • 9日 平成27年度第5回仏教婦人会仏教講演会
  • 21日 彼岸会(善養寺墓苑)
■ 4月

  • 21・22日 永代経法要
■ 5月

  • 27日 善養寺仏教婦人会総会並びに第1回仏教講演会
■ 7月

  • 12日 平成28年度仏教婦人会第2回仏教講演会
■ 8月

  • 13日 盆会法要
■ 11月

  • 1・2日 報恩講法要
■ 12月

  • 13日 第3回仏教講演会

永代経法要の様子

善養寺コーラスと共に歌のひととき
■善養寺コーラスと共に歌のひととき

1曲目「真宗宗歌」、2曲目「み仏に抱かれて」、3曲目は皆さんといっしょに「川の流れのように」を歌いました。
皆さんも仏教聖歌を歌いませんか?素晴らしい歌がたくさんあります。
お斎
■お斎

こちらは「お斎」です。これにご飯とお汁もつきます。
お斎
■お斎

「お斎」の様子です。
ご法話
■ご法話

今年の永代経法要のご法話は、現在中央仏教学院の講師もされています吹田市大光寺住職の清岡隆文先生でした。
大変分かりやすく楽しいお話でした。
永代経法要
■永代経法要

永代経法要では、今年の年忌にあたっておられるすべての方を法名でおまつりし、お勤めをします。

交通アクセス

所在地:〒670-0874 兵庫県姫路市八代本町1丁目16番36号
アクセス:神姫バス「西八代」バス停を下車、東南へ徒歩約5分
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