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如是我聞~このように住職は聞きました~

4月21日永代経法要 ご講師 清岡隆文先生

4/21 清岡隆文先生ご法話から
 浄土真宗の開祖親鸞聖人は、幼少時より歌の才能があった。9歳のときに得度を受け、そのときに詠んだとされる「明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌はよく知られている。歌に優れた親鸞聖人は、後に和讃という形式の歌を五百首以上残した。その和讃の一つに
「生死の苦海ほとりなし  ひさしくしずめるわれらをば 
          弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」
                             という歌がある。
 浄土真宗のお経には、「死」という言葉が単独で出てくることは非常に少なく、「死」は「生」とともに「生死」として出てくることが多い。お経は(つまり仏教は)死ぬことを説くのではなく、「生」を説いた教えである。この世の命は終わっても、お浄土において永遠の命をいただいて生きさせていただくのが真宗の教えである。
 諸行無常という語がある。私たち自身、流れ行く河の水のように変わり目がわからずに少しずつ年をとり、徐々に変化する。私は変わりたくない、つまり「常」でありたいと思うが、現実は「無常」である。長生きすれば,その分若さと健康そして身内などを失う苦しみが出てくる。人生は四苦八苦。一切皆苦である。
 苦しみは、私たちの「願望」と関わりがある。願望が大きいほど、苦しみも大きくなる。古来より、この「願望」=「煩悩」を小さくしようとしたのが仏道修行である。
 しかし、人間の煩悩はなかなか小さくならない。
 そんな私たちをお救いくださるのが阿弥陀如来様である。
 阿弥陀様は、常に私たちにお働きかけくださっている。
 私たちは常に好き嫌い、勝ち負け、損得ばかりを考える。そんな私たちの上に阿弥陀様のお働きは常に届いている。私たちの声として「南無阿弥陀仏」言わせてくださっている。
 あらゆることが究極のより所となり得ないこの世の中で、たった一つより所となるのがお念仏である。
 
浄土真宗 本願寺派 
要谷山 善養寺

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