境内のご案内
善養寺点描①
「善養寺の菩提樹について」
もう何年の樹齢を経ているのだろう。私(本年八十六歳)の小さい時から少しも変わらない菩提樹の生き様。
明治45年12月の折からの西風にあおられて一瞬のうちに焼け落ちた1806(文化6)年建立のすばらしい本堂。その業火の中でも敢然と生き抜いた菩提樹。木の肌に炎の痕跡を残しながら、生き抜いてくれた巨木の生命力のたくましさ。
私は、我が善養寺を何百年も静かにたくましく見守って下さったこの菩提樹を、どんな事があっても受け継がなければならない。その思いをもって、住職になってから株分け、実生を育てたい思いで、三株の新しい若木を寺宝として山門の北側、納骨堂の前にと新しいいのちが立派に育ってくれているのを頼もしく見つめている。
本堂、納骨堂の花瓶にその小枝を供え、遙か印度の釈尊の開悟入滅に思いをはせる。
私のお棺の中に菩提樹の数葉を入れてくれるのを願いながら。
明治45年12月の折からの西風にあおられて一瞬のうちに焼け落ちた1806(文化6)年建立のすばらしい本堂。その業火の中でも敢然と生き抜いた菩提樹。木の肌に炎の痕跡を残しながら、生き抜いてくれた巨木の生命力のたくましさ。
私は、我が善養寺を何百年も静かにたくましく見守って下さったこの菩提樹を、どんな事があっても受け継がなければならない。その思いをもって、住職になってから株分け、実生を育てたい思いで、三株の新しい若木を寺宝として山門の北側、納骨堂の前にと新しいいのちが立派に育ってくれているのを頼もしく見つめている。
本堂、納骨堂の花瓶にその小枝を供え、遙か印度の釈尊の開悟入滅に思いをはせる。
私のお棺の中に菩提樹の数葉を入れてくれるのを願いながら。
善養寺第18代住職
江尻 茂
善養寺点描②
当山境内の11月24日の銀杏です。先日も前住職が、「ああ、庭に銀杏の木があるのはいいなあ。」と前坊守としみじみ眺めておりました。私が子供の頃は、この倍の高さがありました。大きくなりすぎて上を切ったんです。
「ギンナン」がなってくれたらいいんですが、あいにく雄の木のようです。
ネットで調べたら、銀杏は樹齢が長く結構大きくなる木のようです。また、仏教伝来と共に日本に入ってきた説があり、そのため神社仏閣によく植えてあります。
与謝野晶子のあまりにも有名な「金色のちひさき銀杏ちるなり夕日の丘に」を彷彿させるまではいきませんが、うちの銀杏もとても鮮やかに色づいたと思います。ちなみに、住職が小学校か中学校で、先の与謝野晶子の歌を習ったと思いますが、その時なんてきれいな歌なんだ!と感動した覚えがあります。
善養寺境内点描③
つくばい
2020-07-22
沿革欄に載せていますが、当山は、大正元年に本堂が全焼し、古いものはほとんど灰燼に帰しました。もしかしたら、現代では大変貴重なものもあったかも知れません。少し残念です。
なにしろ、その時の火事で残ったとされるのは、ご本尊、いくつかの仏具、過去帳、中庭の菩提樹、そして七高祖のお軸とそれくらいのようです。
これまでも、境内や近隣風景を点描としていくつか載せてきましたが、またこのコロナで外出がままらなぬ時期に今ある、ちょっとした置物や道具類、または他人から見たらがらくたようなものを、住職の独断と偏見?で、「境内点描」として、少しずつ紹介したいと思います。ただ、骨董的に価値の高いものはないと思います。念のため。(笑)
なにしろ、その時の火事で残ったとされるのは、ご本尊、いくつかの仏具、過去帳、中庭の菩提樹、そして七高祖のお軸とそれくらいのようです。
これまでも、境内や近隣風景を点描としていくつか載せてきましたが、またこのコロナで外出がままらなぬ時期に今ある、ちょっとした置物や道具類、または他人から見たらがらくたようなものを、住職の独断と偏見?で、「境内点描」として、少しずつ紹介したいと思います。ただ、骨董的に価値の高いものはないと思います。念のため。(笑)
さて、今回は、中庭にある「つくばい」を紹介します。
「つくばい」とは。
「つくばい(蹲踞、蹲)とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。 もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めたのが始まりである。茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用する。」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
このつくばいは、前住職が、平成5年の本堂大改修の頃に、京都・竜安寺のつくばいを模したものを、出入りの造園業の方を介して設置したものです。竜安寺のHPのつくばいとほとんど同じです。
石に何と彫られているかお分かりでしょうか?□を中心に「五、矢、疋、隹」と彫ってあります。
つまり「吾唯知足」です。「吾唯知足」は「唯だ吾足るを知る」でしょうか。浄土真宗では「小欲知足」という表現を用います。「足るを知る」という語の意味はお分かりでしょう。深いことばです。「腹八分目」とも通じますね。知足」は、「私のとらわれ=執着」につながるでしょう。「我執」と「自己の成長」は表裏一体ですね。
「つくばい」とは。
「つくばい(蹲踞、蹲)とは日本庭園の添景物の一つで露地(茶庭)に設置される。茶室に入る前に、手を清めるために置かれた背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。手水で手を洗うとき「つくばう(しゃがむ)」ことからその名がある。 もともと茶道の習わしで、客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めたのが始まりである。茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用する。」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
このつくばいは、前住職が、平成5年の本堂大改修の頃に、京都・竜安寺のつくばいを模したものを、出入りの造園業の方を介して設置したものです。竜安寺のHPのつくばいとほとんど同じです。
石に何と彫られているかお分かりでしょうか?□を中心に「五、矢、疋、隹」と彫ってあります。
つまり「吾唯知足」です。「吾唯知足」は「唯だ吾足るを知る」でしょうか。浄土真宗では「小欲知足」という表現を用います。「足るを知る」という語の意味はお分かりでしょう。深いことばです。「腹八分目」とも通じますね。知足」は、「私のとらわれ=執着」につながるでしょう。「我執」と「自己の成長」は表裏一体ですね。
蘊蓄は以上にしておき、当山のこのつくばいは、地下水から水をくみ上げて流してますので、適度な水温のようです。写真をご覧下さい。最近めっきり少なくなった?トノサマガエルくんがいます。どこからか水の気配を察知してやってきたのですね。気持ちよさそうに水につかっていました。これを見て、ほんの少しでも涼しさなどを感じていただければ嬉しいです。
善養寺点描④
紅葉便り~姫路城界隈~
近隣の風景
▼お気軽にお問い合わせください
お問い合わせフォームはこちら
TEL.
079-222-4296